本当の貧困と富裕

自由人として自由に生きるために、まず目指したいのが経済的自由。

ムダな浪費さえしなければ、朝起きて会社に行かなくても、最低限の生活ならば貯蓄だけで生きていける、という状態だ。

そして、カン違いしないもらいたいのだが、
「最低限の生活」とは、「貧しい生活」のことではない。

例えば、食費をひとりあたり月1万円でやりくりしようと思ったら、自炊がかかせない。自炊となれば、自然と余計な添加物を摂取せずにすむ。野菜も多く取れる。100円のキャベツひと玉、大根1本買うだけで、傷む前に食べきろうと思えば野菜三昧生活となる。

自炊ができれば、好きなものを、好きな味付けと調理法で食べることが可能だ。

そして、自炊ができる人間は、「自炊する方法、買い食いする方法、外食する方法」の中から、予算に応じて好きな方法を選択できる。

つまり、自炊ができない人間より、自炊ができる人間のほうが自由だ。

もちろん、これは食費に限ったことではない。生活でも、仕事でも、生きること全般、全てがそうだ。自分でできることが多い人間ほど、「選択の自由」がある。

生きていくのは、人に依存するほどお金がかかるのだ。

先日、貧困層とその子供の特集を視聴した。メディアは、「貧困層はこんなにも苦しい思いをしている」、「努力しても抜け出せない」と伝えたかったようだ。

しかし、番組の中でその人達が買っているのはコンビニやスーパーの出来合い惣菜にカップ麺。レトルトカレー。お茶ですら、ペットボトル。一体何を努力しているというのか。

さらに、なぜかそんな人間達が都会の高い賃貸の住宅、ネカフェに住んでいる、という滑稽な姿。

生活水準というのは、上げようとすればいくらでも上げられる。

低い水準でやりくりできる人間は、いくらでも自らの選択で生活水準を上げることができる。しかし、高い水準以外を知らない人間は下げることができない。

このブログで繰り返し言っているように、収入が何十万円あろうと、支出が収入および貯蓄を上回る人間は、貧困層なのだ。

貧困層は、お金がないから貧困なのではない。

生活費を押さえる術を知らないか、したくないかのどちらかだ。

前者なら知能が足りないし、後者なら怠け者に過ぎない。