親や親族からの自由

自分自身は「自由人として生きる」と割り切っても、浮上してくるのが親や親族の問題だ。

とくに、長男や長男の嫁、一人っ子なら、介護や墓、家の行事等を取り仕切ることを強要される場合がある。

本当に親が大好きで終生面倒を見たい、介護もしたい、という人はもちろんできる限り面倒を見れば良い。

しかし、私などは個人的に毒親との関係が非常に悪いため、最低限の労力で切り抜けたい、煩わせないで欲しいと思っている。

こうした家族間の問題は、当事者でなければ理解不可能だろう。

親に情があれば別だが、ない場合には対処法も異なってくる。なので、後者の一例として、私の個人的意見と対処法を記す。

冷たいようだが、親は別世帯なので、基本的には手を出さない。親の人生は親のもので、自身の健康管理と蓄え、年金でカタをつけるべき問題だ。

まず、間違っても同居は避けることだ。一旦同居してしまうと保護責任が生じる。同居人がいれば「そいつに何もかもやらせようぜ」というのがこの国の現実だ。

親が元気なうちに独立しておかなければ(弱ってからでは)保護責任者遺棄罪となり、逃れる術はなくなる。

つまり、自分のプライベートを全て犠牲にしてつきっきりで介護なんてことにもなりかねない。

別居は自分にとって良いばかりではない。独居老人なら施設への入居が優先されるし、財産や年金でお金が足りないなら生活保護を受けることもできる。

逆に、子供側が何もする気がないのに親と同居したり、へたに関わったりすることは、親自身が持つ上記の権利を奪うことになる。

ところで、多くの場合「子は親の面倒を見なければならないと法律で決まっている」と、周囲から責め立てられるわけだが、親から子への扶養義務と、子から親への扶助義務を混同している人間が多い。

子から親への扶助義務はとても弱いのだ。

民法八七七条「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養する義務がある」の「義務」についてだが、扶養義務は放棄できないが、そのために自分たちの生活に破綻をきたすようなら、無理をしてまで扶養義務を果たす必要はない。

強制的に人を動かして介護させることなどできないし、お金に関しても、所得のない人間からは奪えない。

ちなみに、上記の法は「民法」だ。民法は性質上、罰則規定がない。つまり、扶養義務はあるが義務を果たさなくても罰則はない。

つまり、「無理です」がまかり通るのだ。

財産を蓄えなかったのなら、蓄えなかったなりの人生。子に愛情を与えなかったのなら、与えなかったなりの人生。子供を作らない、作れなかったなら、子供のいない人生。それぞれの人生が待っている。

もちろん、その逆もしかり。原因があれば結果がある。別に、どの人生が正しいとか、間違いとかいうことはない。

繰り返すが、親の人生は親自身のもの。
自分の人生は自分のものだ。

たとえ子であっても親の人生をどうこうする権利はないし、たとえ親であっても成人した子供の人生をどうこうする権利はない。