自由人に向く人と向かない人

人間には、ひとりで生きていける人間と、ひとりでは生きていけない人間がいる。

これは、社会に生きる以上必ず人の世話に…云々のマクロな意味ではなく、ミクロな意味での「ひとり」だ。

このブログで自由に生きるために必要なものとしてよく取り挙げているのが、まず経済的自由。そして、人付き合いの自由。次いで消費しない自由だ。

これまで、全て自分の自由時間を増やすために得なければならない自由だと主張してきた。もちろん、私個人としてその信念が揺らぐことはない。

しかし、孤独感や精神的な不安感から、経済的に自由でも、人にわずらわされなくても、幸せでない人がいるらしい。

このブログの趣旨として

①低消費で経済的自由を手に入れる
②持ち家とパートナーを手に入れる
③好きなことでお金を稼ぐか不労所得を得る
④アーリーリタイア


…などという形を推奨している。

しかし、自由時間を手に入れてもやりたいことがない人、もしくは何もやらないことに幸せを感じられない人には向かないだろう。

せっかく手に入れた自由な時間が、不幸で寂しい時間となるのであれば、何のための自由なのか。本末転倒だ。

無趣味で無気力な人にとって、仕事や仕事の人付き合いがあったほうがまだ幸せだ、というケースもあるに違いない。

世の中には、組織の中で人と一緒に一喜一憂するのが好き、一般の人と同じように生きたい。自分個人の幸せよりも、社会的名誉を得たい。人に感謝されることが嬉しい。そんなタイプの人も存在する。学校でもそれがよしと教育されてきている。

奴隷には奴隷の快楽がある。

人間とは、何もしなければ思い悩むようにプログラムされている生き物だ。あり余る時間は、人間、社会、自分の負の面を見つめさせようと襲ってくる。老人になれば尚のことだろう。

そして、幸福感を感じられない人間が行きつく先は、精神病や、自殺。

人と異なる生き方というのはある意味で孤独との戦いでもある。

人生を選択する前に、自分がどちらのタイプなのか、考えてみることだ。

あちら側からこちら側に来ることはできるが、こちら側からあちら側に戻ることは難しいのだから。