人づきあい

通常、会社員は給料から否応なしに税金が天引きされる。

そのためか、必要以上に稼がず社会に還元しない自由人を「ずるい、許せない」と考える人がいるようだ。

大前提として、収入を調整(あえて一定額以上は稼がない)して節税するのは合法だ。

それがおかしいというのなら、会社員の妻が節税対策に「年103万の壁」を利用してパートに出るのすらおかしいだろう。

しかし、現実を見ると自分は社会の枠組みから出れもしないくせに、ひがみで人に文句をつける人間のなんと多いことか。

「本当の社会的弱者が困る」だの、「こんな人が増えたらこの国はどうなる」だのといった偽善を並べ立て、自分と同じ負担を相手に強要する。

お次は、「社会に協力しないなら社会保障を受けるな」だろうか。

文句があるなら、そういう人間が政治家にでもなって制度を変えることだ。

そもそも「いくら稼ぐか」なんて個人の自由。

身を粉にして稼いで社会のために奉仕するのもひとつの生き方だが、それを他人に強要する権利などない。まぁ、永遠に分かりあえないだろうから無視するに限る。

ちなみに、全ての税を、消費税のようにモノやサービスに課税して税金徴収をするならこのようなことは起こらない。子供にだって分かることだ。

しかし、なぜそれをしないか?実際には、世の中を動かす側の人間が利用している制度であるがゆえに、変わらないのだ。

世の中は知識を持ち、利用する人間が得をする仕組みになっている。

自分に実力があって会社勤めをしている(むしろ会社を引っ張っている)ような人は、ある意味企業の中で自由な生き方を達成しているので、他人の生き方になどいちいち文句をつけてこない。

自分および自分の生き方に自信があり、満足できているからだ。

しかし、望んでもいないのに会社勤め以外できない人(搾取されるだけ)の自由人にたいするひがみ、嫉妬はものすごい。

「お前も同じ不幸を味わえ」という境地になるらしい。
敵に回すとうざいうえに粘着質だ。

色々書いたが、その手の人間には、低所得、低支出で日々の生活に不自由がなくても、「苦しい」「お金ない」「貧乏」「不安」そう言っておけ、という話だ。
なにしろ面倒が少なくて済む。

お互い相手を「可哀想」と思って、お互い優越感に浸っていればいい。

そして、最終的にはつきあいを断てばいい。

そうした人間から得られるものは限りなく少なく、分かりあえる可能性は限りなく低い。

何度でも言うが、人生は有限。

そんな人間に費やす労力や時間があるならば、愛する人、尊敬する人、および自分自身のために使うべきだ。